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モーツァルト 交響曲第35番 ハフナー シューリヒト ウィーン・フィル

■モーツァルト 交響曲第35番 ハフナー

シューリヒト ウィーン・フィル 56年

第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章

1956年に計画されていたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるアメリカ公演の指揮者の選考は二転三転した。別に迷っていたわけではなかった。最初に決まっていたのはフルトヴェングラーだった。しかし、54年に亡くなったので、次にエーリッヒ・クライバーを指名した。段々と近づきつつあった56年1月、クライバーも突然亡くなった。C.クラウスも亡くなっていたのでドイツ・オーストリアを代表するにふさわしい人物は他にはクナッパーツブッシュぐらいしか見あたらなかった。しかしクナは平衡感覚の病気のため生涯ヨーロッパから出られなかった。ワルターは年齢的問題で容易に演奏旅行はできなかったので難しかった。このような事情はあったかもしれないが、クライバーが急逝する前日にザルツブルグで行われたカール・シューリヒトとウィーン・フィルによるコンサートは、両者の関係にとってタイムリーで幸運な出会いだったといわねばならない。1人のウィーン・フィル団員はこの時の衝撃を「天啓だ」と言った。それぐらい、シューリヒトの指揮するハフナーは驚嘆すべき演奏だった。これがアメリカ演奏旅行の主席指揮者にシューリヒトが指名された時の経緯である。しかし、年齢的にすべてのコンサートを指揮するのは困難だったため副指揮者としてアンドレ・クリュイタンスが同行することになった。彼は若かったがすでにフランス楽壇で高い地位を築いていたため、無名の老人に従って副指揮者の立場で同行することを彼が受け入れたことにヨーロッパ中が驚いたと言われている。そのため記者会見ではシューリヒトではなくクリュイタンスに質問が集中した。しかし、会見の間中、彼は終始シューリヒトに対する配慮を示し続けたといわれている。この2人の紳士によるアメリカでの演奏会の模様はおそらく残されていないから今となってはどんな様子だったのか知る由もない。でも、その時の興奮は出かける前に収録した本作で覗き見ることはできるかもしれない。ザルツブルグでの感動をぜひ録音に残しておきたいというオーケストラ側からの提案で組まれたこのセッションは両者の温かい信頼関係を感じるわくわくするような名演に仕上がっている。