クラシック音楽、歴史上作曲家アーティスト別
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ヘンデル 合奏協奏曲第5,6番 ワインガルトナー ロンドン響

■ヘンデル 合奏協奏曲第5,6番

ワインガルトナー ロンドン響 39年

第5番第1楽章  第5番第2楽章
第5番第3楽章  第5番第4楽章
第5番第5楽章  第5番第6楽章

第6番第1楽章  第6番第2楽章
第6番第3楽章  第6番第4楽章
第6番第5楽章

すべての旋律は練り上げられている。そして表情はどの瞬間も豊かだ。にもかかわらず、過度に装飾をつけすぎることは決してない。常にというわけではないがオペラの場合はストーリーに曲をつけているので、その意味するところはおおむね明瞭だ。しかし、器楽の場合はそうではない。愛情を込めて演奏するといわれても色々ある。それが故郷への愛なのか、国家への愛、恋愛歌の場合さえあるだろう。全部違う。それはさらに、人の数程、無限にある。ワインガルトナーの演奏はあらゆる人々の普遍的な感情が織り込まれているゆえに永遠性を備えている。それゆえ、フルトヴェングラーはワインガルトナーについて「彼は古典形式の気品と清澄さを持ち続けたことで歴史の中で決して忘れられないだろう」といった。この気品と清澄さのゆえに彼の中で交錯していたであろうあらゆる感情が澄み切った1つの完成された形として提示されたのである。そのことは、このヘンデルの作品から、より明瞭に観察することができる。



ヘンデル 合奏協奏曲第4番 クレンペラー フィルハーモニア管

■ヘンデル 合奏協奏曲第4番

クレンペラー フィルハーモニア管 56年

第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章

ヘンデルという作曲家には女性的でわかりやすいという印象を持っていたが、クレンペラーの演奏によって衝撃を受けてから、若干認識を改めた。巨大な塊が怒濤の如く流れてくる。緩徐楽章でも、極めて静謐な表現だが、その清い静けさの中にさえ神が宿っているようで、すざまじいパワーの降臨によって圧倒されてしまうように感じられる。そこでまともに相手にすると負けるので、俗人なりの考えで対抗してみよう。どうもこの秘密には、弦に対する弓の押しつけ方にあるようだ。グイグイ押しつけて鳴らしている。普通こういうことをしたら、音が棒のようになってしまって表情がつけられないが、クレンペラーはなぜこうならないのだろうか。ニキシュやフルトヴェングラーは、音量を可能な限り小さくし、大きな音を押さえることで、コントロールし、ダイナミズムによってスケールの大きさを表現していた。これと同じ考えで作られた建造物にアンコール・ワットがある。これは古代の宮廷だが、他国の使節が来朝した際に、まず小さな部屋に通し、さらに幾つもの部屋を通らせるが、それらは徐々に大きくなる。そうすると最後の最も大きな部屋の正面にある玉座が巨大なものの中にある偉大なものに見える錯覚を起こす、こういう効果がある。しかし、実際には当時のカンボジアにはアーチ建築の技術がなかったので、大建造物を造ることは不可能だった。同様にフルトヴェングラーは実際には大きくはないが、抑えることによって楽器をバランスよく鳴らし切り、また録音という限定的な器にいれても十分に巨大なスケールを表現できた。フルトヴェングラーの演奏を直に聴いたことのある近衛秀麻呂の回想によると、フルトヴェングラーがベルリン・フィルから引き出すピアニシッシモは、霞がかかたように極限まで小さなものだっだらしい。一方、フォルテシモはたいしたことはなかったと言っている。だから普通より大きな音程が最大に設定されており、小さい音は限りなく小さいので、その差を以て、普通より大きく聞こえてしまうのである。そこでクレンペラーに話を戻そう。最初から弦を強烈に擦りつけている。実際の音も巨大だったに違いない。木管もはっきり大きく鳴らす傾向が見受けられる。例えばハードロックというのがある。このジャンルはよくわからないが拡声でやたらと大きな音を出し続けている。全部強調しているのだろうが、そうすると、ずーと音量が一定なので全く強調してないように見える。あれは何らかの催眠効果をねらっていると思われるので趣旨が異なるがいずれにしろ、要点の強調とかそういうことはないみたいだ。クレンペラーがダイナミズムを無視しているかといえば絶対にそういうことはない。むしろ当然強弱をつけているが、こう考えていくと、それでもスケールは普通出にくいだろうと思うだろう。だからクレンペラーを聴いたら、驚く。とにかくあるものを全部大きくしている感じがする。でかすぎて、解明できない。間違いなくクレンペラーこそ、最も神に近い演奏である。