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20世紀前半のベルリン・フィルを支えた12人のコンチェルトマイスター特集

■20世紀前半のベルリン・フィルを支えた
12人のコンチェルトマイスター

強力なヴィルトオジティを誇るベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の陰の指揮者たちである歴代のコンチェルトマイスターの演奏とはどのようなものだったのだろうか。ソリストとしても素晴らしかった彼らの演奏をピックアップして紹介するボーナス・コーナーにようこそ! 1つの曲は2人の在籍者が演奏しているので全部で11のセクションがある。すばらしい室内楽の世界へはここから・・・

アントン・ヴィテク 在籍1884-1910年
バイロイト祝祭管 28年

バッハ:2つのバイオリンのための協奏曲 BWV.1043 第1楽章
                        第2楽章
                        第3楽章

1872.1.7 チェコ西部ザーテツ - 1933.8.19 米マサチューセッツ州ウィンチェスター

恐らくヴィテクについて知らなくても、この経歴を見て驚かない人はいないだろう。ベルリン・フィル在籍期間が、1884-1910年である。ということは、ベルリン・フィルの創立は、1882年なので最初期のメンバーということになり(この時なんと、12歳)1887年に初代の監督に就任したハンス・フォン・ビューロー(それ以前は監督不在だった)からアルトゥーロ・ニキシュ(1895-1922年)の代に渡って、コンチェルトマイスターを務めていたことになる。しかし、ベルリン・フィルの初録音は1913年だから、これには参加していないと思われる。( ベートーベン交響曲第5番 参照)まるで、化石のような人物である。それで、演奏も時代遅れの旧式かと思いきや、とんでもない! あまりにも魅惑的すぎて、驚きを隠しきれない。こういうバイオリニストがいるから、優れた伝統が築かれるのである。出身はチェコなのでプラハ音楽院で学び、ベルリン・フィル在籍中の1895年からデンマーク出身のピアニスト、ヴィタ・ゲルハルトとデュオを組んで室内楽活動も行っていた。ゲルハルトとは1910年に結婚し、同年から1918年までボストン響に移籍し、コンサートマスターを務めた。25年に夫人が亡くなった後、米のバイオリン奏者アルマ・ローゼンクラインと結婚し、この録音では夫婦で共演している。


カール・クリングラー 在籍1901-1902年
37年

モーツァルト:バイオリンとビオラのための二重奏曲第2番 第2楽章

1879.12.7 ストラスブール - 1971.3.18 ミュンヘン

ストラスブール音楽院教授だった父にバイオリンを学び、5歳から演奏活動を始めた。1897年からベルリンでヨアヒムに師事し、同時にブルッフに作曲を学んだ。1903-35年ベルリン音楽院教授。1905年には自身の名の弦楽四重奏団、1906年からはヨアヒム弦楽四重奏団のビオラ奏者、ヨアヒム死後はバイオリンパートを演奏した。この録音でビオラパートを演奏しているのは、フリドリン・クリングラーという人物だが詳細不明である。


リッコ・アマール 在籍1916-1920年
20年代前半

ヴェラチーニ:バイオリン・ソナタ 作品2-8 リトルネット
 アレグロ・コン・フォーコ

1891.12.4 ブダペスト - 1959.7.19 フライブルグ

ベルリンでアンリ・マルトーに師事し、1912年からマルトー弦楽四重奏団第二バイオリン奏者。ベルリン・フィルを経て、1920年よりマンハイム歌劇場。21-29年には、作曲家パウル・ヒンデミットをビオラ奏者にアマール弦楽四重奏団を結成し現代音楽を中心とした活動を行った。33年にナチスによりドイツを追われ、35年トルコ・アンカラ音楽院、57年以降はフライブルグ音楽院で指導した。ここでは、ハープシコードにギュンター・ラミンを迎えている。


ヤン・ダーメン 在籍1920-1922年
30年代前半

バッハ:無伴奏バイオリン・ソナタ第1番 第1曲

1898.6.30 オランダ南部ブレダ -

ハーグ王立音楽院でアンドレ・スポールに、その後ベルリンでカール・フレッシュに師事。ベルリン・フィルの後、24年よりドレスデン国立歌劇場、46-48年までスウェーデン・イェーテボリ管、その後アムステルダム・コンセルトヘボウ管第1コンチェルトマイスター。アムステルダム音楽院教授兼任。


モーリッツ・ヴァン・デン・ベルク 在籍1920-1925年
ウィルフリート・ハンケ 在籍1927-33年
30年代後半

ヴィヴァルディ:4つのバイオリンとチェロのための協奏曲 RV.580 第2楽章

1898.2.20 オランダ北東部フローニンゲン - (ベルク)

14-17年ケルン音楽院でブラム・エルデリングに師事。17-33年の期間、ストラスブール管、ケルン・ギュルツェニヒ管、ベルリン・フィルを歴任した。33年以降はアムステルダム・コンセルトヘボウ管、49-67年オランダ放送フィル指揮者として現代音楽を多く手がけた。ウィーンのブクスバウム弦楽四重奏団の第1バイオリン奏者も務めた。この演奏の後2人のバイオリン奏者は、シュテファン・フレンケル、ロマン・トーテンベルグである。


トッシ・スピヴァコフスキー 在籍1926-1927年
30年

ヴィエニャフスキ:スケルツォ・タランテラ

1907.2.4 オデッサ -

ベルリンでウィリー・ヘスに師事。ベルリン・フィルの後、42年よりクリーヴランド管。室内楽活動は、兄のヤッシャ・スピヴァコフスキー、チェロのエドモンド・クルツとのトリオで活発に行った。


ヘンリー・ホルスト 在籍1922-1931年
40年代後半

バッハ:G線上のアリア

1899.7.25 コペンハーゲン -

デンマーク王立音楽院で学んだ後、ベルリンでウィリー・ヘスに師事。ベルリン・フィルの後は、40-44年リバプール・フィル。41-50年はフィルハーモニア弦楽四重奏団第1バイオリン奏者を務め、特にシベリウスの演奏で高い評価を得ていた。マンチェスター、ロンドン、デンマーク王立音楽院、東京芸術大学で教鞭をとった。


シモン・ゴールドベルグ 在籍1930-1934年
34年

モーツァルト:バイオリンとビオラのための二重奏曲第1番 第1楽章

1909.6.1 ポーランド中北部ヴロツウヴェク - 1993.7.19 富山県

ベルリンでカール・フレッシュに師事し、12歳でデビューした。25-29年ドレスデン国立歌劇場を経て、ベルリン・フィル。34年ナチスに追われて辞任し、英国移住。リリー・クラウスとデュオを組み、36年初来日。ヒンデミット、フォイアマンともトリオを組んでいた。41年オランダ領ジャワ(現在のインドネシア)へクラウスと演奏旅行中、侵攻した日本軍に捕らえられ、45年まで抑留。戦後は、カザルス、ゼルキンとトリオを組み、55年には、オランダ室内管を組織した。日本人と結婚し、晩年は日本で活動していた。この演奏のビオラ奏者は、ヒンデミットである。


ジークフリート・ボリース 在籍1933-1940,1945-1961年
38年

ドヴォルザーク:ユーモレスク

ケルン音楽院でブラム・エルデリングに師事。41-45年はベルリン国立歌劇場。49年以降はベルリン音楽院教授兼任。ベルリン・フィル史上最高のコンチェルトマイスターとの評価。ここで、カール・ザイドラー・ヴィンクラーをピアノに招いている。


エーリッヒ・レーン 在籍1934-1945年
シューラー ベルリン国立歌劇場管 40年代後半

ベートーベン:ロマンス第1番

1910.4.16 ベルリン南東グロス・ロイテン -

ベルリン音楽院でグスタフ・ハーフェマンに師事。ベルリン・フィルの後、45年よりハンブルグ・北ドイツ放送響、ハンブルグ音楽院教授、コンラート・ハンゼン、アルトゥール・トレスターとのトリオなど活発な活動を行った。68年以降は、ハンブルグ弦楽四重奏団第1バイオリン奏者を務めた。


ゲルハルト・タシュナー 在籍1941-1945年
44年

サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン

1922.5.25 チェコスロヴァキア中北部クルノフ - 1976.7.21 ベルリン

すでに13歳でワインガルトナー指揮の演奏会に出演。ブダペストでフーバイ、フーベルマンに師事し、ウィーンでドルドラに学んだ。17歳でブルノ歌劇場。40年にベルリン・フィル・第1コンチェルトマイスターだったボリースの突然の辞任で困惑したフルトヴェングラーが、アーベントロートに相談。以前にブルノ歌劇場へ客演したアーベントロートの紹介でベルリンへ招かれた。到着してすぐ、フルトヴェングラーとベルリン・フィルの団員が見守る中でオーディションが行われ、その中央で1人、バッハのシャコンヌを独奏し、その場でただちに第1コンチェルトマイスターに就任した。45-50年はヨーロッパ各地で独奏者として活躍し、50年以降はベルリン音楽院で後進の指導にあたった。