クラシック音楽、歴史上作曲家アーティスト別
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ベートーベン 交響曲第5番 フルトヴェングラー ベルリン・フィル

■ベートーベン 交響曲第5番

フルトヴェングラー ベルリン・フィル 47年

第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章

フルトヴェングラーのEMI録音の大部分は悪いので、この歴史に残る優れた演奏がグラモフォンによって記録されたことは人類にとってすばらしいことだ。フルトヴェングラーはナチス時代に党の幹部だったので(しばしばナチと衝突していたにもかかわらず、彼の国外流出をさけるためゲーリングによって高い地位に就けられていた)戦後のニュルンベルグ裁判にかけられ唯一人だけ無罪になったが、それでも二年間の演奏活動停止の処分を受けた。この処分は他の演奏家たちにも下され、クナッパーツブッシュも同様だったが、この2年はクナにとってナチスから受けた制裁の全ての合計日数より長いものだったらしい。この欺瞞についてはとりあえずここでは考慮せず、ここでは長いブランクの後の彼らの演奏について考えてみたい。フルトヴェングラーはベルリン陥落までの数ヶ月アンセルメの計らいでスイスに亡命生活し、そこで数回振った後しばらく活動停止になったわけだが普通これだけ間が空いたら腕が鈍るだろうと思われる。ところがどうだろう、このすばらしい演奏は!! むしろ、本作はフルトヴェングラーの代表作とさえ言われているのである。そこで思い出したのがソ連崩壊後のプラハの春音楽祭で一時復帰したクーベリックで、この時にドボルザークの第9とスメタナの我が祖国を扱ってやはり代表作とされている。この時のブランクは10年ぐらいだったはずである。これは考えさせられる現象である。腕が良すぎるのだろうか。晩年のカルロス・クライバーがブランクの後、すぐ調子が出なかったこともあったとされているので腕はあまり関係ないように思われる。むしろ、それよりもメンタル面が大きかったに違いない。フルトヴェングラーの復帰演奏会となった本ライブは、プラハの春と同様多くの人々の喜びのなかで行われた。世の不条理への戦いと勝利を高らかに宣言するような本作は、演奏上の傑作という以上にもっと尊いものを気づかせてくれるのかもしれない。


ベートーベン 交響曲第5番 ニキシュ ベルリン・フィル

■ベートーベン 交響曲第5番

ニキシュ ベルリン・フィル 13年

第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章

ベルリン・フィルの極めて初期の録音の1つ。当時はラッパに向かって音を飛ばして文字通り吹き込むような録音方法だったため、あまり大人数では演奏できず、せいぜい30人程度だったらしい。この時もオーケストラを縮小して行われた。ベルリン・フィル第2代目の監督だったアルトゥーロ・ニキシュについては、ほとんど伝説的なので、このように実際の音の形で残っているものは、非常に貴重なものである。立派な演奏だが、この演奏を聴いたトスカニーニは「私の知るニキシュではない」といったといわれているので、複雑な心境にならざるを得ないが、10代の頃に早くもウィーン・フィルのバイオリニストになり、そのため多くの大作曲家と巡り会った人物の演奏をこうして聴けるというのは恵まれたことだ。トスカニーニは批判的だが、こんな堂々たる演奏はそうあるものではない。たぶん彼は、あまりに音が悪いので、ニキシュの過小評価につながってはいけないと思い、擁護しようとしたのかもしれない。繰り返し鑑賞するに足る演奏である。